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代表挨拶
代表挨拶

アスアルク株式会社のホームページにアクセスしていただきまして本当にありがとうございます。
当社のキーワードは、感動、わくわく、達成感です。
利用者さん、家族さんに、いかにして「感動、わくわく、達成感」を味わっていただくか。
私たち職員が、いかにして「感動、わくわく、達成感」を味わえる仕事をするか。
社会に、いかにして「感動、わくわく、達成感」を広げていくか。
いつもそれに考えを巡らせ取り組んでいます。
私はアントニオ猪木さんの「元気があれば何でもできる」という言葉が大好きです。
元気があれば、本当に何でもできるような気がします。
と同時に、「元気じゃない人はどうすれば元気になるのかな」と考えていました。
たくさん考えて考えて、考え抜いて出た結論、それが「感動、わくわく、達成感」です。
歳をとっても、身体が不自由でも、人間なら誰でも「感動、わくわく、達成感」という薬を続ければ、少しずつ元気が出てきます。
元気になってくれば、心も、身体も自然に動くようになります。
心も、身体も動くようになってくれば、生きがいや目標、使命が生まれます。
生きがいや目標、使命を持てば、きっと人として自立した活動ができるようになるでしょう。
当社は、利用者さんや職員、そして社会の方々が、生きがいと目標、使命を持ち活動できるよう、「感動、わくわく、達成感」を科学し、追求します。
そして、皆様から愛されるアスアルク株式会社を創造して参りますので、今後とも一層のご支援、お引き立てのほどよろしくお願いいたします。
代表プロフィール
山形県立寒河江高等学校 普通科 卒業
国際医療福祉大学 保健学部 理学療法学科 卒業
国際医療福祉大学大学院 医療福祉研究科 理学療法学分野 修了
栃木県佐野市に在住
アオウミガメと代表
資格:理学療法士 介護支援専門員
身長:177cm 体重:63kg
血液:A型 星座:ふたご座
趣味:シャンパンの飲み比べや美味しい物の食べ歩き、旅行、ダイビング。
また、男女の行動特性や思考の違い、人の動作と心理の関連性などにも興味があり勉強を続けている。
元来は元気がなかった代表 サラリーマン時代の失敗&成長記
将来の目標が見いだせなかった高校時代、何となく医療系の仕事に興味はあったこともあり、看護師の母親から勧めらるまま、理学療法士を養成する大学を受験。
滑り止めに受けた大学に無事入学。はじめの一年は学業に勤しむ日々。しかし、学ぶにつれて勝手に描いていた理学療法士像と現実のギャップから、急速に学業への情熱を失う。
二年次からは講義をさぼり、家庭教師、塾講師、棚卸業、農協の米運び、医療器具の作成、梱包、チューリップの球根に将来咲くであろう花の色のテープを巻く仕事、タクシーの配車など様々な業種に携わり社会勉強。
しばしば大学を辞めたい衝動に駆られるも、高い学費を出してくれている親の顔が浮かび断念。要領よく?最低限の単位と成績を確保し、ちゃっかり卒業&理学療法士免許取得。
一年目の春、大学と同じ地元の総合病院に就職するも、仕事に対するモチベーションはあがらない。原因は、学生の時から思い続けてきた事。
「理学療法をしたところで患者の身体は治らない。よくなっているように感じても、患者の身体が勝手に回復しているのを自分が治したように勘違いしているだけ」
理学療法や自分の存在が無意味どころか、患者さんの出費をさらに増やして害を及ぼしているのでは・・・との疑念を持ちながら、悶々とした一年を過ごす。
二年目の春、リハビリ科の主任が変わり、新しい上司と対面。
私が外来患者さんの理学療法をしている様子を見ていたらしく、落ち着いた口調でダメだしをされる。
口では「ハイ」と答えたものの、自分の顔が怒りでゆがむのがわかる。心の中で「正しい理学療法のやり方も確立されていないし根拠もない。陳腐な学問なのに、偉そうに説教しあがって!」と叫び、上司を睨む。
「いつかギャフンと言わせてやる。」私は上司に、普通なら答えに詰まるような意地悪な質問をたくさん投げかける。にもかかわらず、彼は熱心に耳を傾け、考え方の1つをアドバイスしてくれたり、一緒に悩んでくれた。
そうこうしているうちに自分の理学療法に対する思考が変わっていく。
上司の理学療法の実際を見て肌で感じ、彼の哲学を聴くほどに「理学療法も捨てたもんじゃない」という気持ちが強まり、もっと知りたい衝動に駆られたのだ。
上司の介入方法を見よう見まねで試行錯誤しているうち、さらに深く学ぶ必要性を痛感。
その時上司は病院に勤務しながら大学院博士課程で研究していたこともあり、自分も大学院で学ぼうというはっきりとした目標を持つ。
三年目の夏、職場を介護老人保健施設に移す。
理由は、給与がある程度高いこと(大学院の学費を稼ぐため)と、当時は病院より仕事が楽だったから(大学院の研究と仕事を並行して行うので)という、不純な動機だったが、これをきっかけに私は介護福祉分野にのめりこんでいく。
介護老人保健施設とは、病院を退院したものの在宅生活ができない方々に対してリハビリテーションを提供し自宅復帰を支援する場所で、病院と在宅をつなぐ中間施設である。
しかし私が就職した施設は、在宅復帰など夢のまた夢・・・。さらには利用者さんが一人でできる生活動作もスタッフが過剰介助をするので、依存性が芽生え自立を阻害している状態だった。
この状況を変えたくて、様々な啓発運動を試みる。リハビリの豆知識を載せた施設内情報誌の発刊、利用者の適切な介助方法を動画で閲覧できるデータベース作成、歩こう会の創設、その他にも手を変え品を変え様々なアプローチで切込みを入れる。
でも、状況は変わらずイライラが募る。上司や職員と幾度も衝突を繰り返し、感情的になる日々。いつしか私は、職場で浮いた人間になっていた。
四年目の春、大学院に入学。
今まで何故うまくいかなかったのかな・・・。高ぶる感情を押し殺し、冷静に考えてみる。
原因はたくさんあった。
でも、その中で一番大切なこと、それは
「自分中心にしか物事を見ていなかったこと。利己の塊だったこと。」
一年目、理学療法に疑念を持つ日々、私が受け持った患者さんに対して申し訳ないと、本気で考えたことがなかった。
二年目、理学療法に対する興味が深まった日々、介入効果の有無に一喜一憂し、患者さんのことを本気で考えていなかった。
三年目、施設に根付く過剰な介護を変えようと奮闘した日々、たぶん、自分の意見の正しさを証明したかっただけで、患者さんのことを本気で考えてなかった。
今まで利己心のみで動いてきた自分が情けなくなった。関わってきた患者さんにあわせる顔もない、本当に申し訳ないことをした。
お詫びをしたくともする事はできない、せめて「理学療法は自分の為にあるのではない、患者さんの為にあるのだということを言い聞かせ、患者さんの為に何ができるかを第一に考える」意識を持って、研究と仕事に打ち込んだ。
六年目の春、無事大学院を修了し、新天地を目指し栃木県佐野市へ移住
仕事と研究の両立は大変だったが、大学時代とは勉強に対する情熱は比較にならないほど大きかった。
講義にも真面目に参加し、研究に打ち込んだ。理論的な思考と説明力を身につけられた気がする。
そして、何よりそれらを患者さんに還元したいという気持ちも自然に湧き上がってくる。
次の職場として選んだ場所も、介護老人保健施設だった。
自分でもびっくりするくらいの超ビップ待遇にウキウキ。
七年目の春、職場の役職に任命される。
理学療法士としては、ある程度の自信を持って患者さんにかかわることが出来ていた。
以前勤務していた理学療法士の先生が整備してくれていたおかげもあり、施設のリハビリテーションシステムも整っていて、それぞれのスタッフが協力的。
しかし、長として様々な職種のスタッフをまとめつつ、オーナーとの橋渡しをするのは初めての経験。
他部署との軋轢、スタッフ同士の衝突、オーナーからの指令、スタッフ不足、様々な調整に振り回される。
人間関係の難しさを痛感しつつも、毎日が新鮮な体験の連続。それなりに充実した日々を過ごす。
でも、この頃から独立開業したいという気持ちが芽生える。
大きな母体のもとで自分の目指す介護を実現する困難さを悟ったからかも知れない。
九年目の夏、独立への決心が固まる。
自分の中で、以前と比較するとだいぶ感情のコントロールが出来るようになったと感じていた。
職場でも感情的になる職員を冷静になだめ諭す役割が多かったから。
でも、その油断がオーナーとの関係を悪化させてしまう。
その日は、恋人との結婚に向けた家族の顔合わせ会、お互いの両親に紹介し結婚の意思を伝えた。
無事に顔合わせもお開きとなり、緊張の糸がとけて、今まで全くきいてなかったお酒がまわりだす。
ちょうどその時、電話がなる。オーナーからだ。
「用があったから急遽会議をしたかったのに今日は休みなんだって?前から言っておいてもらわないと困る!」と。
今日の休みは1か月以上も前から希望して取った普通の公休だった。
でも最近の自分なら「申し訳ありませんでした。気をつけます。」と言えるはずだった。
しかし、その時は冷静さを失っていた。
今まで我慢していた部分もあったのかもしれないが、本気でたてつき、感情的になってしまったのだった。
一度亀裂が入った関係を修復するのは難しい。その後、本気で謝罪したが以前のような関係を取り戻すことはできなかった。
後悔先に立たず・・・でもこのピンチは、独立の夢を叶えるチャンスかもしれないととらえ、決心を固める。
十年目、独立に向けての修行へ 愛媛にわたる。
今の施設は、私に財務や人事の決定権はなく、お金や人の流れに関する知識は皆無に近い。
このまま独立しても成功するイメージが持てなかった。
「独立といっても何をやればいいんだ?私がやりたいデイケアは医療法人でないとできないし・・・」と悩む日々。
ある日ネットで、私と同じ理学療法士が起業してリハビリ型デイサービスやショートステイなどを手広く展開している会社の求人を見つける。何と愛媛県にあるらしい。
その会社のホームページには、社長の熱い想いや起業までの生い立ち、そして起業したいセラピストにはやる気と実力次第では重要なポジションを任せ、施設運営、管理のノウハウを学ばせてくれるという内容が。
「リハビリ型デイサービス・・・こんな方法があったのか・・・」目からウロコが落ちるとともに、この会社で修行したい、学ばせていただける分、私も心血を注いで会社に役立ちたいと考え、愛媛行きを決断。
親友に話すと「修行の期間はあらかじめ決めておいたほうがいい。ダラダラ続けるのはよくない、期間が決まっているからこそ集中して学べるんだ」とアドバイスをもらい、自分で2年間を修行に費やすと決めて愛媛にのりこむ。
十一年目、二つのデイサービスセンターの責任者を任される。
入社してからしばらくは、一施設のリハビリスタッフとしての勤務。
そこではじめて施設の掃除を体験。
今まで病院や施設の掃除は、パートの掃除婦さんがやってくれていたので、これまで一度もやったことがなかった。
はずかしながら、何故オレが・・・との思いがあったのは事実。
でも掃除を続けているうちに、心が洗われていくような気持ちになり、結構好きになってしまった。
入社3か月後、異例のはやさで一つの施設を引き継ぎ所長に就任。大きな混乱もなく順調に集客し、月の売り上げは二十店舗弱あるなかでも1~2位を維持。
さらに、隣の空き地にもう一店舗のコンセプトを変えた施設をオープンすることとなり、立ち上げから施設長を兼務することに。
かねてからいだき続けてきた2施設の施設長の夢・・・目標が現実となり、希望に燃える日々。
しかし、舞い上がってちょっと天狗になった鼻は、すぐ折られることになる。
オープンしたての施設のリハビリ業務と2事業所の施設長兼務は予想以上に激務で、心に余裕のない日々が続く。
思うようにいかないストレスで、職員の気持ちを考えられなかったり、自分に反抗的だった職員に冷たくあたったりしていたことで、スタッフからの信頼感を失う。
特に最初に引き継いだ事業所は、集客が順調だった為、目配り気配りがおろそかになり、スタッフの私に対しての不信感が高まったのだ。
それが社長の知るところとなった。社長は静かな口調で、京セラの稲盛和夫さんの著書を抜粋し、経営者や上に立つ者の在り方、利他の心について諭してくださる。
「こんな激務で余裕がない状態ではどうにもならない」と自己防衛に走りそうになるも、冷静に考えてみると「スタッフを信頼せずに仕事を任せられなかった自分に原因がある」ことが浮き彫りに。
自分の不甲斐なさを戒め、スタッフの為利用者の為、今一度再起をかける。
十二年目、感動の卒業 会社設立を果たす。
所長であることに虚勢を張ることをやめて、スタッフを信じ、同じ目線で、みんなで目標を成し遂げようと努力を続ける。
スタッフといつも真剣に話し合い、理解し合うことで、自然と距離が縮まるのを感じる。
いつの間にか、私はスタッフのみんなが大好きになり、その成長を見るたびに抱きしめたいくらい大好きでたまらなくなった。
スタッフにしたら気持ち悪かったかもしれないが、私が期待すれば、みんなはそれ以上の結果を出してくれた。
「利用者さんの笑顔が見たい、喜んでもらいたい、元気になってもらいたい」という命題のもと私たちは一つになった。
・・・そして入社から二年がたち、ついに卒業の日がやってきた。
いつもと変わらない、活気のある施設、みんなは忙しいながらもスイスイとそれぞれの仕事をこなす。みんなやるべきことをわかっている。心地よい時間。
「スタッフのみんなは私がいなくても十分にやっていく実力がある、安心して、自信を持って次の管理者に引き継ぐことが出来る。でも、みんなとこうやって仕事をするのも最後か・・・すごく寂しいな。」と感慨にふける午前中のひと時。
午前中も無事に終わり午後のレクの時間、司会者の「所長~ 二年間お疲れ様でした~!!」を皮切りに、サプライズイベントが始まった。
ビックリの私、ちょっと期待もしていた私、両者の比率は半分半分。嬉しさをかみ殺しながらびっくりした表情を続ける。
スタッフ1人1人と、指相撲や腕相撲、おしくらまんじゅう、体の押し合いゲーム、あっち向いてホイ、ストッキングを顔にかぶって引っ張るゲームなどを真剣勝負。勝負がついたら、一人ひとりから言葉のプレゼントと固い握手。
ヤバい泣きそうだ。必死に平静を装う。
その後は、皆が苦労して作成してくれた私のサプライズDVDの上映会。しかし、DVDの山場を迎える前に感極まって号泣。
花束をもらって、手作りのくす玉を割ると「所長、ありがとう」の文字が。
おい、そんなくす玉いつのまに作ったんだよ!相当大変だったろうに。
まだまだ続く。社長、専務からのねぎらいの手紙を披露、そして何と私の妻からの手紙も!!
みんな、忙しいのにもかかわらず、合間を縫って私の為に動いてくれたんだなと思うと涙が止まらない。
最後は、スタッフみんなで手をつないで贈る言葉の合唱をプレゼントしてもらう。
その時、私の2年間、いや12年間はすべて報われ、すべてが浄化された。
この気持ちをあらわすには、言葉じゃ追いつけないけど、ありがとう。みんな、本当にありがとう。
栃木県佐野市に帰郷し、
みんなからの想いをエネルギーに変えてアスアルク株式会社を設立。
感動、わくわく、達成感を基軸としたリハビリデイサービスを立ち上げるべく、私は今日も前に進む。